比起英法美等國的海軍,近代日本海軍算是後起之秀,幕府末年,美國的派里准將以船堅炮利開啟了近代日本的維新,也開啟了日本成為現代國家之路。無獨有偶,近代日本海軍發展也是起源於明治維新,卻先後擊敗清(日清甲午戰爭的北洋海軍艦隊)俄(日俄戰爭時的俄羅斯第一第二太平洋艦隊,以及從歐洲趕來支援的波羅的海歐洲艦隊)兩國海軍,打響東方不列顛的名號。明治維新後日本海軍遠赴歐洲取經當時的最新銳科技與典章制度,特別是當時世界第一海軍強權英國,更成立英日同盟,二戰前還特別從英國維克斯公司技術引進金剛級戰鬥巡洋艦,後來並在日本建造後續的同級艦艇,奠下二戰前日本新的造艦技術基礎。
日本雖有萬世一系的天皇(日本皇室已經存在於世界超過兩千年歷史,可說是目前世界最古老的皇室),不過近代海軍卻僅僅發展了一百多年,所以不同代的同名艦並不多,不過卻發展了一套蠻完整的軍用艦艇命名法,從古國名、鳥禽、祥獸、山脈、河流、島嶼、天氣海洋自然現象、植物等等都是軍用艦艇命名的來源。不過二戰時由於雷達技術並沒有美國與英國以及德國先進,因此二戰日本主力艦都有高聳的寶塔式艦橋。
在日本的出雲級直升機護衛艦改造完成後,日本將再次擁有可操作定翼機的航空母艦,不過只是僅能操作短場起降的F-35B,而不是像第二次世界大戰所操作的傳統起降艦隊航艦,不過如果中國軍力再擴張,或許英國的伊莉莎白女王級可能有三號艦出售給日本或印度,甚至技轉日本也不是不可能。而美國第七艦隊的母港也在本州橫須賀,部署有一個航艦打擊群(Carrier Strike Group),而在九州的佐世保港則有一個遠征打擊群(Expeditionary Strike Group)。
1905年4月23日,海軍大臣山本權兵衛提出了一項新的艦艇命名方案;該方案後於1905年8月1日被採納,隨後實施。
戰艦:以令制國或其他日本地名命名
一等巡洋艦(包含排水量在7,500噸以上之艦艇):以山嶽命名
二等巡洋艦(包含排水量在3,500噸以上但不足7,500噸之艦艇):於艦名前加註「に」
三等巡洋艦(包含排水量在3,500噸以下之艦艇):於艦名前加註「は」
其他艦艇:由海軍大臣任意取名
日本帝國海軍時期
戦艦:旧国名 - 例外として日本の異称である「扶桑」も艦名に使われた。
航空母艦:特殊名。昭和18年には山岳名が命名基準に追加された。
一等巡洋艦(重巡洋艦)、巡洋戦艦:山の名前。
二等巡洋艦(軽巡洋艦):河川の名前。
練習巡洋艦:神社の名前。
駆逐艦:天象、気象、海洋、季節に関係のある名、および植物名。八八艦隊計画の進行中は一時的に「第○○駆逐艦」「第○○号駆逐艦」の番号名も用いられた。等級が定められてからは以下のとおり区分けが行われた。
一等駆逐艦:天象、気象、海洋、季節などに関係のある名。昭和18年には植物名が追加された。
二等駆逐艦:植物名。
潜水艦:当初は「第○○潜水艦(潜水艇)」「第○○号潜水艦」と大きさに関係なく通し番号が付与されていたが、等級が定められてからは以下のとおり区分けが行われた。
一等潜水艦:「伊号第○○潜水艦」。
二等潜水艦:「呂号第○○潜水艦」。終戦直前に建造された基準排水量500トン未満の潜水艦は「波号第○○潜水艦」と命名された。
水雷艇:鳥の名前。
海防艦:島、島嶼、列島の名。「多くの島」を意味する八十島と五百島も艦名に使われた。太平洋戦争末期に建造された艦は番号名(丙型:奇数番号、丁型:偶数番号)も使われた。
水上機母艦:過去の戦役における武勲艦名、抽象名詞。
敷設艦:機雷の敷設を主任務とする艦は古戦場名、過去の戦役における武勲艦名。設網を主任務とする艦は鳥の名。
敷設艇:島、島嶼、岬の名および番号名。
砲艦:名所古蹟の名。
潜水母艦:鯨が末尾に付く名。
掃海艇・駆潜艇・哨戒艇・輸送艦:番号名。
特務艦:海峡、水道、瀬戸、港湾、岬、半島の名。
雑役船:番号名(公称第○○号)もしくは番号+名詞(第○黒潮など)。1937年から、600トン以上の大型雑役船、曳船および救難船の新造船については、泊地にちなんだ地名(市町村名、地域名など)を使用することができるようになった。
海上自衛隊時期
直升機驅逐艦(DDH):以山嶽與令制國命名
防空飛彈驅逐艦(DDG):以山嶽與天氣術語命名
驅逐艦(DD):以天氣術語命名
巡防艦(DE):以河川命名
巡防艦(FFM):以河川命名
潛水艇(SS):以洋流或傳說中的祥獸命名
補給艦(AOE):以湖泊命名
船塢登陸艦與軍隊輸送艦(LST):以半島命名
掃雷艦:以島嶼命名
掃雷母艦:以海峽命名
大型運輸艦:以半島命名
潛艦救難艦:以城郭命名
訓練艦:以神社命名
破冰艦:以冰河命名
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